岐阜プロジェクト
蛍小僧 一年ぶりの県外遠征
2001,8,15〜8,17
ボーズ2が6月に生まれるまでいろいろあったのだが、私が1年間も神奈川県(東京くらいは同じようなもの)を出なかったのはこうした趣味を持ってからは実に異例といっていい。私が旅行に出るのは写真撮影のため、というのはもちろん理由としてあるのだが、もっと単純に言えば、他の土地の空気が吸いたい、地図を片手に街を歩きたい、そんな素朴な欲求が体を突き動かしているともいえる。とにかくこれにまさるストレス解消はないわけで、計画の段階から終了まで、疲れはあっても生き生きしていると自分では思っている。まあ、今回は久々のプロジェクトなので
もったいぶって、前書きを書いてみた。
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出発が15日と言っても、当然(?)夜行バスである。出発の2日前に予約したもので、新宿から新岐阜まで走っている「パピヨン号」である。ちょっと肩の力が抜けてしまいそうな名前だが、多分「ギフチョウ(天然記念物)」からとったのだろう、軽軽しく「変な名前」とは言えない。ちなみに、この夜行バスは3列シートだったので快適だった。前の席との間隔もあり、ゆったり。ただ、窓側指定で左側というのは計算外だった。このバスは中央高速経由なので右側に座りたかった・・・。しかし、中央道の渋滞があったため、東名で行くことに変更。車窓に流れる東京の夜景を楽しみながら、神奈川県へ。いつもならずーっと起きているのだが、よほど乗り心地が良かったのか、最後の記憶は海老名サービスエリアの表示を見たところまでだった。こんなに早く寝てしまうのは珍しかった。
写真は明けて16日、郡上八幡である。夏の間に30日踊ると言われる「郡上踊り」の大きなちょうちんがぶら下がっている。街は8時過ぎで、まだ観光客も動き出していないのかまだ静かなものである。
そうは言っても、ここまで来るのには、岐阜から高山本線で美濃太田まで進み、長良川鉄道でさらに1時間半は乗らなければならない。なかなか、「ちょっと行くか」とは言えそうもない場所ではあった。
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八幡町の本町にある「宗祇水」と言われる湧水。名水100選であるという。
まだ朝早いのでセルフタイマーで写真が撮れる。街並みを一回りして戻って来たら観光客(自分もそうだが・・・)が飲めや、撮れやでごった返していた。
もちろん、「飲む」というのはこの「水」のことである。ただなので私も飲みまくった。
湧水はここだけではなく、街のあちらこちらにある。その度に水を1杯飲む。
いい加減お腹も膨れてくるのだが、根が卑しいため一口はつけてしまう。
冷たさもほどほど、まろやかとかそういう表現は私には無理だが、結論としては「美味かった」。
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こんな風景が街の中にあったと確認しただけで、この街を歩いてよかったと思う。たとえそれが演出であっても、「それ」ができるだけのところはそうそうないはずだ。うらやましい限りである。
水は無料だがスイカは誰かのものだろう。本物であることを確認(指ではじいてみた)して、さらにこんな写真を撮って立ち去った。
お寺のことには詳しくないが、この城下町にはいくつかの名刹があって、「お寺巡り」の散策コースもあるようだった。
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郡上八幡を午前中歩いて街並みの写真を撮っていた。午後の予定は美濃市に戻って「うだつ」のある街並みを見に行こうと思っていたのだが、せっかく長良川鉄道をここまで乗って来たのだからと、終点まで乗ってみることにした。俗に言う「乗り潰し」というものである。
写真は終点の「北濃駅」。美濃太田から70キロもあるという。
駅の周りには特にこれというものもない。細くなった長良川がさらに奥に続いており、それに並行している道は富山県に続いているという。私がしたことと言えば最寄の郵便局で旅行貯金をしたことと、乗って来た列車の周りをぐるぐる回って見物していたくらいのものである。そんなことをしている間に40分は過ぎてしまった。そして、またその列車で美濃市まで運んでもらった。
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美濃市に着いたのは午後3時過ぎだった。ちなみに「美濃市」とは駅名でもある。うだつのある街並みは保存されている区画であるので地図に従って行けば、「Udatsu−style」の通りに出る。一見して、古い街並みなのだが、やはり「うだつ」は特徴的である。「だって、こんなところに屋根(らしいもの)をつける必要なんてないでしょう」と見れば見るほど、見慣れない意匠に目が釘付けになる。
機能的には「防火」の役割があるそうだ。そういうことはガイドマップにも書いてあった。
街角に大きな石が置いてあったので良く見ると「馬つなぎ石」なんだそうだ。重い機材を背負ってそろそろ疲れてくる頃だったので、どこかで一息入れようと、長良川河畔まで行くことにした。
あと、美濃市駅付近で目を引いたのが、廃止された名鉄美濃町線の駅と車両が保存してあったこと。元駅がそのままひと区画として柵で囲まれている感じで柵の外は、まだレールが撤去されたばかりのような「廃線跡」とわかる
地形が残っていた。
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美濃市に向かう時まではいい天気だったのだが、ここ美濃市ではすっかり曇ってしまった。夏なので日は長いが、まるで日暮れ前である。対岸では、川の中で泳いでる人やバーベキューに興じている人が見える。こちらの岸は静かなもので川舟が岸に繋いであったりするだけで落ち着くにはいい場所だ。
写真は長良川の川の「灯台」。珍しいものだとガイドブックに書いてあった。
何かの撮影ガイドでこの川の風景を撮れるポイントが、美濃市付近にあることを見たのだが、ちょっと動くには、駅に戻るまでのエネルギーしか持ち合わせていなかったので、こうした風景を後にして、また長良川鉄道の人となった。
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再び、郡上八幡。ここで郡上踊りを撮ることに決めた。美濃市を出るまでどうしようか迷っていたのだが、16日が「徹夜踊り」の最終日、ということをここで知ってしまったが故にその誘惑に勝てなくなったというわけである。
もちろん、「徹夜」対策の臨時列車も用意されていて午前3時46分というのに乗ることに決めた。これでこの日は宿無しである。実のところ無茶な旅行計画を立てるくせに意外と「宿無し」ということは今までなかったことである。自分ながら「どこにも泊まらない」ということにいささか抵抗があったのかもしれない。
まあ、今回は午後8時から明日未明午前4時までは郡上踊りなので割り切れた。写真は午前2時過ぎのもの。臨時列車には座りたかったので撮りたいものは気の済むまで撮って、駅に戻りこんなことをしている次第である。
国指定重要無形民俗文化財の「郡上踊り」は伝統あるパラパラといった感じに見えた。造詣も知識も何もない私が見た感想とはそんなものである。飛び入り参加自由なので私も混ざりたかったが、機材を抱えている現実がそれを阻んでいたのが残念でならなかった。見よう見真似でその場でステップを踏んで自分なりには楽しませてもらった。
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明けて17日。徹夜踊りのダメージも思ったより少なく(多分旅行中は気持ちが高ぶっているのでダメージを感じなかったのかもしれない)、岐阜に戻ってきた。この日の予定は、9月で廃線となる名鉄谷汲・揖斐線に乗りに行くという計画だった。名鉄の揖斐線に乗るためには岐阜市内の路面電車に乗らなければならないのだが、その乗り場がわからない。路面電車の線路は道路にあるのだが、乗り場がない(ように見えた)。岐阜駅からしばらく歩いて、やっとバス停のような路肩の時刻表が電車のもので道路に塗られた緑の細長いエリアが「乗り場」であることが判明。始発電車狙いであるが故の混乱であった。「徹明町」という洒落にならない「電停」から見た目チンチン電車に乗り、黒野で小休止。その後は古色蒼然とした車両(写真)に乗り込み谷汲駅を目指した。写真は谷汲駅でのもの。この時点では鉄道マニアと思しき人はそれほど見かけなかった。周囲にはお寺以外はこれと言った名所もなさそうだったのでもう1本この列車の到着を見届けてから、樽見鉄道の谷汲口駅を目指して歩き出した。
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列車の写真ばかりで申し訳ない。と言っても厳密には車両は「レールバス」という種類のもの。長良川鉄道でも走っていたが、冷房が効きすぎて寒かった。奥の樽見まで足を延ばそうかと考えたが、時間がないため、大垣行きの上り列車に乗り込んだ。
この駅まで歩いてくる途中に前出の谷汲線沿線も歩くのだが、あちらこちらで「鉄道写真・ビデオ」を撮っている人がいた。1時間に1本(上り・下りと考えると2回)のシャッターチャンスを逃すまいと鉄道ファンが布陣を敷いていた。
それならばと私も該当の時間にそれらしき場所に三脚を立てて撮ってみた。
こうやって待って撮る緊張感もなかなかいいもんだなー、と感じたりもした。
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大垣にたどり着いて市内散策でもしようかと思ったが、駅前の地図を見て「意外と広いなー」と感じたため予定を切り替えて、近鉄で揖斐まで行くことにした。揖斐から名鉄の本揖斐までは連絡バスが走っていたのだが、敢えて無視して炎天下の中歩き出した。これが結構な距離でのんびり歩いていたら小一時間はかかった。この晴天続きなので揖斐から歩いて一つ目の川などはすっかり干上がっていた。その後には揖斐川も渡ったがこれは水が少ないかなという感じだった。
本揖斐付近も古い街だなと感じる建物が多かった。そんな風景もいくつか撮ったが、何しろ暑くてふらふらだった。揖斐川郵便局で小休止して、水分を大量に補給した。
写真は名鉄本揖斐駅。着いた時から次の列車まで約1時間もあった。屋根の大きい駅舎なので日はよけられたがそこでもとにかく暑かったので動かないでベンチでじーっとしていた。いい加減寝不足と今までの歩きのダメージが一気にきたようだった。
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待っていた揖斐線が到着するや(この駅で見る限りは)大量の人が降りてきた。朝には見かけなかった鉄道ファンの大群が乗っていたのである。かくして、黒野行きの短い区間だったが今度は私も折り返しが目的のその連中とともに行くこととなった。まあ、ファンと言うものは10中8・9は男性である。家族で乗りに来ていても、お父さんと息子は最前に陣取っているがお母さんと妹は何の気なしに座席にいて本などを読んでいたりする。
最前列は録音機を肩から下げている人や、ビデオで前方を撮っている人、もちろん覗いているだけの人など、不自然なくらい混んでいる。
まあ、最低限のマナーを持っているファンなのだろうが、鉄道会社も寛大と言えば寛大だなといつもながら思ったりした。
写真は黒野駅に泊まっていた急行電車。高橋尚子の広告が全面(2両編成)にしてあった。中日新聞の広告だからご当地のものということで撮ってみた。
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黒野から新岐阜まで一気に帰っても良かったのだが、体力が一時的に回復したこともあってもう一箇所くらい立ち寄ろうかなと思って、立ち寄ったのが写真の尻毛(しっけ)という所だった。名前が面白いというというだけでは寄る理由にはならないわけで、この駅の近くに鉄橋があり、そこを渡る電車を撮ろうと思ったのである。朝来る時にそういうところはチェック済みである。
まあ、駅にそのポイントが近いということがその気にさせた理由でもある。
鉄橋の向こうに雄大な入道雲が見えていた。走る電車の添景にはもってこいだったのでそんな写真を撮って、この岐阜旅行の締めとした。
ちなみにこの隣の駅は「又丸(またまる)」という名前だった。何とも面白い駅名が続いているな、と思った。
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岐阜からは新快速で名古屋まで一直線。関東以外の快速電車は思い切りよく駅を通過してくれるので「乗ろう」という気にさせてくれる。コストパフォーマンスも優れた乗り物であると常々感じている。私の住んでいる近所では「快速アクティー」などというものが走っているが、どうにも停まる駅が多いので「何だかなー」と思う時がある。実に走りっぷりのいい電車だった。
最後は名古屋始発の「こだま」に乗り込み、ちんたらと小田原を目指した。普段は買わない駅弁をつまみにビールを飲みながら、「忙しい旅行だったなー」と訪れた場所の順番などを地図で確認したりした。
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岐阜プロジェクト おしまい
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