越前プロジェクト
ECCHIZEN
1990,WINTER
いきなりこの写真。見た人は何を撮ったのかわからない。もちろん意味はある。ここは福井駅前。駅をバックに写真を撮ったのだがバスが運悪く横切った。当然本人は「もしや・・・」とは思っているが、写真ができるまで気付かない。でも、旅の記録は記録なのでこうやって載せている・・・。
小田原から大垣夜行。大垣から米原。そして福井まで全て普通列車でやって来た。夜行発が好きなのである。これは性格なので仕方ない。
この旅行の目的は2つある。ひとつは、冬の日本海がどういう状況なのかをこの目で見ること。もう一つは、過酷と言われるその環境で咲きそろう「越前水仙」の群落を撮ってみたい、というのがそうである。
福井駅からバスに乗る。天気は雨模様。冬の日本海は天気が悪いとは聞いていたが、いきなりの洗礼、こんな天気で写真が撮れるのかなー、と少々厭戦気分であった。
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市街そして鄙びた地域を抜け、バスは海岸線に出る。市街地を出たところで雪になり、その降り方は風にあおられるように舞いまくっていた。「おいおい・・・」と曇ってゆく窓ガラスを拭きながら外を眺めていた私だが、身を隠す場所もないような所だけは勘弁してくれ、と心の中で祈っていた。はっきり言って、この時点で気持ちが負けていた。
海岸線を走るバス。右手には鉛色の空と海。風が強く、停車したバスから見ても雪が真横に降っている。この先に泊まる宿がなければ、そのままバスに乗っていたいくらいだった・・・。
それでも意を決して(予定通り)、居倉というバス停で下車。遠ざかるバスに未練を残して「撮ってみるか・・・」と海岸に対峙した。
海から吹き付けてくる風は相当なもの。バスから見た海と自分の目の高さから見た海はまったく違ったものに見えた。
怖い!
これが第一印象。完全に景色に呑まれてしまっていた。横殴りの雪、砕け散って飛ぶ「波の花」、初めて冬の日本海を訪れる者には豪華すぎる挨拶ではないだろうか。しばらく自分の置かれている環境を理解するのに時間がかかった。
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越前岬の方に歩を進めると海岸沿いに落ち込む急斜面には、雪でない何かが覆っているように見えた。かの「越前水仙」だった。こんな環境で、しかもこんな厳しい時期に何故咲く必要があるのか、などとも思ったが、その群落の中に入ると風は強いとは言え、水仙の香りが一帯に漂っている。生命力の強さを実感した瞬間だった。
それにしても道路を越えてくるのではないか、と思えるほどの波高が幾重にも向かってくる海岸は物凄い迫力である。
宿に着いても風の音、岩に砕けていると思われる波の音でなかなか寝付かれなかった。この旅行は越前岬2泊、玉川1泊という予定。毎晩こんな感じなのかなー、とその時は心細く感じた。
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2日目。この日は越前岬灯台までのハイキング。天気は時雨交じり。
写真は「呼鳥門」という天然のトンネルをバックに撮ったもの。真下を通ると相当大きな岩の穴である。波も高く、ガードレールの右が海になっているというような場所もわりとあるので、さすがに波のしぶきが路面を濡らしているようなところもあった。
他、鳥糞岩、玉川洞窟(観音)などが途中にあり、その都度休憩をとりながら三脚をセットして写真を撮ったりした。
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国定公園としての「越前岬」の標識は海岸線の国道沿いにあるのだが、目的地の越前岬灯台は、そこからはるか上の断崖上に立っていた。
そこまで登るのが大変で、道は舗装されているものの急な断崖を巻いて登っているのでなかなか高度がかせげない。
そうこうしているうちに時雨が何度も急襲してきた。時には霰状の粒まで降ってきたりした。まさに風雲急を告げるといった天候で、くだらん目的でも目的がなければとても歩いて行こうなんて気にならない状況だった。
それでも高台から今まで歩いていた海岸線を俯瞰してみると想像を絶した海の色が目の前に展開していた。
これは言葉では言い表せないくらい感動し、その場にしばらく立ち尽くしていた。
ここに来て良かった、と思った。
そのうち沖から雨雲のベールが海を舐めるようにこちらに向かってくるのが見えたので、さっさとその海の写真を撮って写真の如く灯台の小さなスペースに避難してちょっと長い時雨をやり過ごした。
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2日目の海も荒れていた。
3日目は、バスで干飯崎(かれいざき)までバスで行き、徒歩で北上して玉川まで戻ってくる計画である。
この計画を実行する前の年に同じく「越前」を計画していたが、実行前日に風邪でダウン。あえなく全キャンセルしたという経過がある。その時の宿がこの干飯崎と東尋坊に取ってあった。
まあ、観光地巡りとしては、昨年案でも良かっただろうが、1年我慢してよかった・・・。などとこの計画の収穫を考えながら感じている。
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3日目。空模様を気にしながら干飯崎から北上開始。この区間は基本的に海が西に開けているので、逆光になる午後の方がよりドラマチックな写真が撮れる。そういう意味でゆっくり出発し、バスに乗りながら帰る道のロケハンをしながらという本当にのんびりしたものだった。
写真はその一漁港。この数日海が荒れていたからなのかびっしりと船が避難しているように見える。
海岸線での国道では水仙や蟹関係の店が多く「越前」ブランドの商魂が私のような冷やかしをも呼び寄せた。
この日の夕方は西の空の雲が切れて、日没を見ることができた。玉川の宿をとらなければ見ることができなかったのでラッキーだった。おまけに宿は温泉だった。おかげで3日間の疲れが取れたような気がした。
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最終日。福井で土産を最後に買いたかったので、福井に戻ろうと思っていたが、同じ道を戻るのはいやだったので、武生経由で帰るルートを取った。
写真は途中下車した織田(おた)町。織田剣神社で撮ったもの。この石碑にもあるようにあの「織田一族」の発祥の地らしい。織田信長の像なんてものもあった。
この日からまた天気は荒れ模様。神社にいる間などは物凄い雷だった。私などは三脚を担いでいるので気が気でない。おまけに背の高いご神木の中である。こんな時ばかりは神頼みだが、天罰がおりればそれまでだった。
まあ、寄る所があって退屈はしなかったが、肝は冷やした。
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武生からはJRという手もあったが、そこは物珍しさも手伝って、左の地方私鉄に乗り込んだ。駅名の表記が面白く「武生新−福井新」となっている。何て読むのかアナウンスを聞いていたが、そのままだった。ああ、そんなもんか、という感じだった。
JRではすっ飛ばしてしまう区間もこうした私鉄はいくつもの駅があり、のんびり走る。終点近くでは市街地に入るや路面電車そのものだった。天気が雨でしかも疲れて来たので途中下車などはしなかったが、乗り潰しとしては十分だった。
この後は、駅のお土産売り場で、「越前打ち刃物」の菜切り包丁を買った。
切れ味は抜群。それほど高いものではなかったが、今でも刃こぼれなく切れている。
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福井から乗った電車が敦賀止まりで米原方面の接続がしばらくなかったので駅周辺を散策した。駅の道路標示で「原発」関係の表示が目立ったのは土地柄だろう。私がとりあえず行ってみようと思ったのは、「気比大社」。
写真の神社がそれである。松が多いのは「気比の松原」の一角なのかは確認しなかったが、この神社と松がここでは有名とのこと。
列車のこともあったので結局ここで小休止して駅に戻るのみだったが、雨も降っていなかったのでいい散歩にはなった。まあ、形だけでも無事旅行が終了した報告をここの神様にしておいた。
初めて見た冬の日本海、北から西までいろいろな表情があるだろうが強烈な印象を残した。これはクセになる。
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越前プロジェクト おしまい
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