それを確認すると、街長は再びアリステーゼに向き直った。
「それで、お前はどのようなデザインがよいのだ?」
エリダイルは、ディアルドの父娘のやりとりを複雑な心境で聞いていました。
ロムル産のドレスといえば中枢都市メレルの宮廷でも好まれている最高級品であり、フォーテイルの全女性の憧れでもあります。
その「ロムルのドレス」という言葉にアリステーゼが反応するのも当然のなりゆきです。
しかし、ロムルのドレス1着というものは、額面にすればディレイの民家の何件ぶんかの修繕を補助することが可能なほどの品でもあるのです。
自力で家の修繕をすることが困難な民に対して、住居の修繕や引越し等の補助をなすこともまた、「陽の光のもとの水」を脅威とするフォーテイル族の街の長の本来の責務のひとつです。
しかし、アストラウルがその職務をきちんと果しているかどうかは怪しいところでした。
―愛娘の居心地に気を配って、自分の屋敷には労を惜しみなく注ぐのですが。
そんなエリダイルの気持ちも知らない街長はニコニコとアリステーゼに話している。
そこでエリダイルはふと気が付いた、アリステーゼの様子がおかしい事に…。
いつもと変わらず落ち着いた笑顔で父とはなしをしているのだが、どこか違和感があった。
はなしの内容をよくよく聞けば、ドレスについて話しているのは街長だけで、アリステーゼはそれが欲しいとは一言も言っていないのだ。
それどころか、むしろそれを望んでいないようにも感じられるのは気のせいではないだろう。
彼女だってロムルのドレスを好んでいるはずなのに…。
「では失礼します。」
ひと通りの話が済むとアリステーゼは部屋を出てその扉を閉めた。
「で、ドレスについてなんだが…。」
扉の向こうからはまだかすかな声が聞こえてくる。どうやらドレスの事についてはまだ話がついていなかったらしい。
うつむき加減のアリステーゼは、顔を上げると、真正面の宙を見ながら言った。
「エリダイル。できれば、すぐにでも街の記録を見たいのですが…。」
「かしこまりました。して、姫はどの記録をご覧になりたいのですか?」
アリステーゼの私室ではなく、エリダイルの執務室に足を向けながら問い掛ける。
それに、アリステーゼはしばし考え込んだ。
「いろいろと見せていただきたいのはあるのですが、とりあえず、今回はこの街で起こった事件について書かれたものを見せていただけますか?」
「…事件…ですか?」
「ええ」
「―あい…失礼、エリダイルのことだ。あなたを不安にさせまいと気を遣うあまりに、あなたにことの詳細を話していないと思うが、いずれはわかることだから説明しておこう。
まず言っておかなければならないことは、本当ならば、知策或いは戦士の技に長けた異世界の若者を召喚するはずだったということだ。」
エリダイルの執務室でふたりきりになったとき、魔法使いはキョウカに説明を始めました。
「―長は、水のセレンダイル族がその身に持っている宝玉の獲得と水の領域の支配権を得ることを望み、陸と水両方の領域を行き来できる人物の召喚を命じられた―」
ここまでを聞くと、彼がアストラウルの命令に唯々諾々と従ってこの魔法を行ったようにも感じられるのですが、説明にはまだ続きがあるようです。彼がこの魔法に踏みきった真の目的は、単なる「上から命じられた宝探し」で終ることではないようです。
「………。話の途中ですが、いくつかお聞きしてもいいですか?」
「どうぞ」
困惑の表情を浮かべてそう言いだしたキョウカにアレクシスは嫌な顔一つせずに頷いた。
根本的な所から日本…地球と違う環境に、キョウカは彼らの言っている事一つ一つが理解できないのだ。
先程彼が話したほんの少しの事ですら、よくわからない事が多い。
それを察してくれたのか、彼からは自分の疑問に一つ一つに答えようという気持ちが伝わってくる。だったら一つ一つ聞いていこうと考え、口を開いた。
「この街の人は、地上にある水に触る事ができないんですよね?最初にこちらに来た時、湖にはボートがありましたが、あれはこの街の人が使用しているものなのですか?」
「あなたが湖を渡る際に使用した乗り物は、学術都市シレギアから入手した書物にあるセレンダイルの舟の絵図をもとにして、今回のために人力、魔法の両方を使って森の木から作成した。
召喚した異世界の方が本当に水陸双方で生きることが可能かどうかを確認するためには、その人物にティセナ湖を渡ってもらい、そして岸の金色の草原に立ってもらう必要があったのだ。」
フォーテイルにも舟はあるのですが、その舟はいい意味で使われることはありません。ゆえに、異世界の客人の心理を思うならば対立する種族のものを参考にせざる得なかったのです。
「それでわざわざあの島に…」
「湖を渡る最中にセレンダイルが現われれば、召喚した者の器量もはかれると考えていたのだ。
―が、力ある男性ならばまだしも、姫君には本当に酷な方法を使った。すまない。」
召喚する相手を男性に限定しなかったならば、もう少し方法に気を遣っていたことでしょう。
「いえ、あなた方の目的がどうであれ、結果として私は襲われませんでしたから。………気にしないで下さい」
キョウカは幾分複雑な想いを抱えつつもそう答え、小さく微笑む。
その笑みに、少々落ち込んだ様子の彼の表情も少し緩んだ。
それを確認して、キョウカは次の質問を投げかける。
「セレンダイル族という方々は、人型…私たちと同じ姿をしているのですか?」
セレンダイル族は湖底…水の中に住むと聞いていたから、てっきり人魚みたいなものだと考えていたのだ。
だけど、彼は『セレンダイルの船の絵図をもとにして〜』と言った。
…と言う事は、そのセレンダイル族とやらも船を必要とする姿をしているという事なのだろうか?
「―言葉よりも絵図面の方がわかりやすいかもしれないな。」
アレクシスは立ちあがり、エリダイルの本が詰まっている書棚に向かいました。ディレイは水際の街なので、今でも万一の時を考えてセレンダイル関連の書物なども保管しているのです。
「たしかこのあたりだったが…ああ、これだ。」
魔法使いは1冊の本を取り出し、テーブルに持ってくるとページを開きました。片方のページには白っぽい服を着た男女が描いてあります。もう片方には文字が綴ってあります。湖で優雅に戯れているような男女の姿はフォーテイルと大差はありません。しかし、ひとつ明らかな相違がありました。絵の中のふたりは双の瞳と同じ色の宝石をその身の一部として持っているのです。
「これがセレンダイル姿の姿だ。こっちのページは絵の解説になっている。」
アレクシスは絵の中の、水そのものにも似た繊細な透明感を持つふたりを示しました。
その絵にわけがわからず、キョウカは首をかしげる。
「…あなた方の長が狙っているのがこの宝石なんですか?それにしても、この姿は…?」
その絵に描かれた額の石を指差しつつ問い掛けると、アレクシスは頷いた。
「ええ、長が狙っているのはこの石です。この石は彼らセレンダイルにとっては体の一部。そのためか、この石は地上に存在するどの宝玉よりも美しく輝きます。また、それ自体に強い力が宿っているので、それを利用しようとする者が多いのです。そして…」
そこで一度言葉を切り、アレクシスは静かな声音でこう付け加えた。
「セレンダイルにとって体の一部である石を奪われれば、彼らはその命はありません」
「っ!!」
「この透明な姿は彼らが石を奪われた後の姿を現しています。…彼らは石を奪われると水となって消えてゆくのです」
キョウカは息のんだ。愕然として、一瞬うつむいた後、顔を上げた。
「それで・・・長は、彼らの命がなくなると承知で狙っているのですか?」
アレクシスは少し間をおいたあと、小さく頷いた。
「無論、知っているでしょうね。」
そこまで欲しいと思うほどの魅力がその石にあるのだろうか、とキョウカはまた、うつむいた。
「フォーテイルはセレンダイルの額の石を求め、セレンダイルも我々フォーテイルの世界に存在する何かを狙っている。争いが絶えることは無いな…。」
アレクシスは部屋の隅にある椅子にゆっくりと腰を下ろした。
(アル、ティエラ、レド、ロン、マデール…)
キョウカは小声で呟いていた。
「何ですか?それは。」
椅子に腰掛けてひと息ついていたアレクシスが向き直って問い掛ける。
「分かりません。うまく言えないのですが、何か、こう…、勇気が湧いてくるような…。」
「いや、わたしも耳にするのは初めてだ。
古代の呪文かもしれんな。或いは使用を禁じられているものか…?」
キョウカが発した1節の言葉は、かなり古い時代―まだフォーテイルとセレンダイルを大きく隔てる水際の金色の草の野が存在しなかった頃に使われたきりのものなのです。
現在となっては、その詳しい内容は魔法使いや神官の最高位者の間でさえ知られていないといっていいでしょう。勿論それはアレクシスも例外ではありません。
「―ところでキョウカ姫、あなたの学問所で傑出した能力を持つ若者といえば誰の名をあげる?
あなたを召喚した術はあなたの学問所と強く結びついているようだから、その範囲内であれば大きな危険もなくあなたが紹介した勇者をディレイに召喚することが叶うはずだ。
これは、やりかた次第では戦いをも招きかねない仕事だ。やはり姫君には荷が重すぎる。」
「私の学問所…学校の事ですか?」
キョウカの問いにアレクシスは頷いた。
「…学校で傑出した能力を持った人って言われても…」
突然の問いかけにキョウカは口を閉ざした。
大人数が集まる学校の事、もちろん周囲から「天才」や「優秀」と呼ばれる人物は幾人かいる。
だけど、彼は自分が挙げた人物を、自分にやったようにここに呼び寄せようと言うのか…。
しかも『戦いも招きかねない仕事』…そんなものに何も知らない人物を巻き込もうと言うのか…。
「ふざけないでっ!!」
次の瞬間、キョウカは部屋の外にまでも響き渡ろうかという声で怒鳴っていた。全身がワナワナと震える…。
こっちの世界の事はよく分からないから綺麗事なんて言うつもりはない。だけど、自分たちの中の事に全く関係のない世界の者を巻き込もうとする考え方が許せなかったのだ。

いったいその声はどこまで届いたのだろう。
その時、アレクシスは窓の外の様子がおかしい事に気づいた。
あれは何だろう。どず黒い物体が空を覆い始め、ディレイの街から光を奪い、街全体が薄闇に包まれている。
そして、程なくして、屋敷全体が突然、轟音に包まれたのだ。
「なっ、なんだ!!! 水!? 水が? 空からっ!!」
キョウカは全身を震わせ小声で何かを呟いていた。
「いかん!」
アレクシスは反射的に杖を手にすると同時に椅子から立ちあがりました。
それから窓を開けると杖を掲げて何やら呪文を唱え始めたのです。魔法使いにだけわかる言葉の詠唱はやがて天にのぼり、やがて雨水は天に留まりました。アレクシスはディレイ全土に魔法のシールドをかける形で突然の豪雨を遮ったのです。
いくら彼がディレイの魔法使いの司であるといっても術を継続できる時間には限りがありまが、彼の住居に住む魔法使いたちもこの事態に気けば何らかの手段を講じるはずです。
アレクシスが外にでているうえ、シルヴィナも召喚の魔法の影響で床に伏しているとはいっても、そこで起居している者は皆、それなりに魔力を有しています。
外に出ている人々が避難し終えるまで効力を継続させることはそう難しくはないでしょう。
魔法使い達が必死にシールドを張って持ちこたえる中、これまで古代の歴史書の中でしか存在しなかったはずの『雨』はやがて収まり、空には徐々に光が戻りつつあった。
「禁断の呪文を操り、はるか古にセレンダイルの神と共に封印されし『雨』を呼び覚まし、我々フォーテイルに災いをもたらす輩よ…。さては、セレンダイル共の手先か!」
屋敷の者の手によってキョウカは街長のもとへと連れ出されていた。
「即刻、牢に閉じこめておけ。」
なぜ、こんなことになったのだろうと、キョウカは牢獄でうつむいていた。まさか、自分が牢獄に入るなどと夢にも思わなかったからだった。
「私は何もしていないのに・・・。」
冷たい牢獄は、一層キョウカの恐怖心を高ぶらした。その時、考えないようにしていた感情が蘇った。帰りたい、という感情だった。
そのとき、牢獄の外から声がした。
この地下には幾つかの牢獄あるようだったが、自分以外、人のいるようすはなかった。
この地下に通じる出入り口付近には、キョウカが入った以後、見張りか何かが立っている様子だったが、その男性の声ではない事は明らかだった。
聞こえてきたのは、男性の声ではなく、女性の声だったから…。
「キョウカさんっ!!」
突然牢獄の前にあらわれたのはアリステーゼだった。
「逃げましょうっ!」
突然アリステーゼは牢獄の扉を開いて中に入ってきた。
目を白黒させるキョウカに構わず、アリステーゼはキョウカの腕を掴み地下を抜け出した。
見張りに立っていたらしい男性が倒れているのを横目に見ながら…。
アリステーゼをよく見ると、結い上げた金色の髪を飾っていた美しい布は腕にかけられています。おそらく、見張りを昏倒させるために飾り帯を使ったのでしょう。
アリステーゼにこのようなことができるというのは、キョウカにとっては驚きでした。
「これはフォーテイルであれば誰でも、子供の頃に学び舎か家庭教師などから会得するのよ。侍女の手を借りなくても寝台の中でナイトテーブルの本をとることもできるから便利ね。」
アリステーゼは茶目っ気のある笑みを見せました。
ふたりが向かったのはアリステーゼの私室がある1画です。ここには、アストラウルが娘の客のために作った部屋も備わっています。ディレイの長は娘に外出を禁じてはいましたが、彼女が誰かを招くことについては(彼の目に叶う者であれば)大きな反対はしないのです。
二人は急いで向かった。とにかく、今は逃げるのが先決である。
逃げていながらも、キョウカは少し疑問をもった。
「アリステーゼさん・・。どうして助けてくれたんですか?」
アリステーゼはキョウカにあらためて向き直り、微笑した。
「あなたには助けてもらったからね。」
キョウカは何のことかと思い、一度考えた後、思い出した。
「あ・・。あの時の?」
アリステーゼはまた、微笑をして、コクリとうなずいた。
階段を上がって屋敷の一階の隅にアリステーゼの私室となっている部屋がある。
アリステーゼは、まるで準備していたかのように、厨房から持ち出した保存食や、私室にあった毛布やランプなどを革製の背負い袋に詰め込み、いつでも旅に出られる様な支度を整えていたのだった。
袋の中には何か重要な書物なのか知らないが、分厚い本の様な物も見受けられる。
「さあ、もう準備は整っていますよ。」
「あとは、エリダイル様に見つからない様にうまくディレイを脱出できれば…。」
確かに、このままアリステーゼとキョウカが屋敷を抜け出すこと自体は簡単だ。
しかし、あのエリダイルの事だ。何か嫌な予感がする。
「―待って。人の声がするわ。何かあったのかしら?」
キョウカはアリステーゼを遮って庭に出ました。
アリステーゼ専用の庭には様々な花が咲き、室内に劣らず美しく贅沢に整えられています。
微かな人の声に導かれたキョウカは、洒落たあずま屋―姫君が時折お茶を楽しむのに使う場所―につきました。そこにいたのはディアルド家の庭師のひとりと思える男性です。
「アリステーゼさん、お医者さんか誰か…とにかく人を呼んでっ!」
「キョウカさん、どうしたの?」
「怪我をしている人がいるの!大変…あなた、大丈夫ですか!?」
キョウカが見つけた男性は、さっきの雨から逃げ遅れてこんな状態になっているのです。このような状態の人を放っておくなど、通常の神経の持ち主であれば到底不可能です。
アリステーゼは一瞬考え込んだ後、サティリエとフェラーダのみを呼んだ。さほど待つほどなく二人は姿をあらわし、主人の隣にいるキョウカの姿に驚いた様子であった。そして、二人はぼそぼそと何か話したかと思うと、サティリエの方が一度その場を去っていった。
フェラーダを中心にアリステーゼとキョウカは男性を介抱する。三人で彼を部屋の中にやっと運び入れた頃、サティリエは何かを携えて戻ってきた。そして、開口一番にこう言った。
「フェラーダも一緒にお逃げください」
彼女はそう言って持っていたものをフェラーダに預ける。
「彼の事はお任せください。どうか、外に出て、ご自分の目で世界を確めてください。そして自分がどうして行くのか、自分でお決めください」
「でも…」
怪我人を放って行くことに戸惑いを覚えるアリステーゼとキョウカをフェラーダは促して歩き出した。
「男性だけに様々な権利が与えられているのはどこかおかしい。女性にも様々な権利が与えられて当然のはずです…」
遠ざかる三人の耳にサティリエのそんな呟きが微かに届いた…。
ふたりの姫の先に立って歩きながら、フェラーダは彼女の家族のことを考えていました。今アリステーゼがここを出て、彼女もそれに従うことになるのならば、家には、祖父の薬や、学び舎に通う幼い弟と妹の学費を工面する人がいなくなります。
とはいっても、そうしたことを姫に打ち明ける気にもなれません…
遠くから騒ぎ声がしたのはちょうどその時でした。
騒ぎの内容をよく聞いてみると、キョウカの召喚と誰かの逮捕のことを言っているようです。
「―駄目!止めないと大変なことになる!」
騒ぎが何であるかに気付いて顔色を変えたアリステーゼは、キョウカとフェラーダが気付くよりも早くに身を翻し、広間のひとつがある方向をめがけて一直線に駆け出しました。
突然のことで、何のことだか分からず、キョウカはアリステーゼを目で追った。その後、フェラーダがようやく、騒ぎの原因に気づき、キョウカを後へ回らせた。
キョウカはまだ、状況が飲み込めず、そっと静かに息をのんだ。
その時、アリステーゼの走る軽やかな足音が止まった。
「あ、あの・・・。アリステーゼさんは・・・。」
フェラーダは静かに口元へ人差し指を当てた。静かに、ということだと、キョウカはすぐわかった。
「何を騒いでいるのです?」
アリステーゼは近くにいた数名の者に声をかけました。
「姫君。見苦しいところをお見せしました。先ほどセレンダイルのものが逮捕されたとかで―」
「そのことね。その件はわたしも聞いていますが、あなたたちは大切なことを忘れていますよ。
過去にこの世界に召喚された大魔法使いがわたしたちのために作ってくれたといわれている、湖岸の金色の草の原に焼き滅ぼされることのないセレンダイルがいるなど聞いたこともないわ。
きっとお父様は、先程の空の水に動転なさるあまりに、先日自らがアレクシス殿に命令なさった異世界人の召喚の件を忘れておいでなのね…」
「ではこの逮捕騒ぎは―」
「根も葉もない噂です。今この街にはセレンダイルなどがいるはずはありません。」
「そ…そうですか…」
きっぱりと言い切るアリステーゼの様子にその場に居た者はそれぞれに表情を緩ませた。
まだそれぞれの中に戸惑いはあるようだが、先程までのピリピリとした緊張感はなくなっている。
思わぬところで休憩時間をとれたからか、少し気持ちが落ち着いたキョウカはさりげなく周囲を見回しました。
ここがどれほどに贅をこらている場所であるかが改めて確認できます。
エリダイルの屋敷にいたときに彼女が使っていた部屋も邸宅の部屋と呼ぶに相応しく、女の子への気配りも行き届いた場所でしたが、ここはその雰囲気もしのぐものがあります。
それもそのはずです。
ここはアストラウルがアリステーゼのために、何をつぎこむことも厭わずに作り上げた場所なのですから。
現在のディレイにはここよりも豪奢な場所はおそらく存在しないでしょう。
アリステーゼはこの壮麗な空間で成長してきたのです―
「あ、金色の草といえば…、
今日、ロイさんはもうお見えになられましたか?」
アリステーゼは部屋を出て行こうとする侍女に何気なく尋ねた。
「今日中に7台の馬車を連ねてのご到着とのことですが、まだお着きになっておりません。」
アストラウルが対岸の街から金色の草を買い入れる際、その仲介人として派遣されてくるのが、カルティスの行商人で、ロイと名乗る男だ。しかし、その風貌のせいか、悪い噂が絶えず、カルティスに拠点を置く金色草シャイアの密売組織の一員なのではないかとも言われている。実際のところ彼が何者なのかはよく分かっていない。
「ロイ殿がどうかされましたか?」
侍女が首をかしげる。
それにアリステーゼは慌てて首を横に振った。
「何でもないの、気にしないで頂戴」
「そうですか…。では、私達は仕事に戻ります。お騒がせして申し訳ありませんでした」
侍女は深々とお辞儀をすると、先に出て行った他の者を追いかけるかのように部屋を出て行った。
当面はこれ以上「キョウカの正体はセレンダイルではないのか?」という噂が広まる心配はしなくていいでしょう。仮にそうした噂がまだ邸内に流れているとしても、さきほどの者たちの様子を見れば、かれらがさきほどのアリステーゼの言葉を使って偽りの噂を鎮めてくれることが期待できます。
金髪の姫はキョウカとフェラーダの待つ部屋に戻ることにしました。ふたりとはこれからの相談もしなくてはなりません。
「まだ何かあるので…お父様。なぜここに?」
別の靴音を感じて振りかえったアリステーゼの瞳に映ったのはアストラウルの姿です。さっきの空の水が娘に影響を与えていないかと思う一心で、政務さえ忘れてここに来たのでしょう。
「さきほどの影響がないかと思って来てみたが無事なようだな。安心した。
この様子だと、このあたり一帯も無傷ですんだようだ。おまえの客間は近々ディレイに来るシレギアの学問所の客人の接待に使うことになるからな。あの学術都市の使者と対等に会話ができるのはディレイ広しといえどおまえだけだ。」
「シレギアの?それはまた急ですね。」
「シレギアの博士課のディレイ分院の着工を予定していることは知っていると思うが、その場所を使者たちとおまえに選んでもらおうと思ってな。おまえもシレギアの書物は愛用しているだろう?分院がディレイにあれば書物を購入する手間も省けるようになるだろう。」
アストラウルの言葉は事実です。聡明なアリステーゼはシレギアの学問所の使者たちと対等に論議を交わすことのできる数少ないディレイ人のひとりなのです。
参加者:れいあさま 瑞穂さま
ミントブルーさま ミール・エア・リーデ
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