同じ頃、ディレイの街長の屋敷では長の一人娘がキョウカの姿を確かめる方法をいろいろと考えていました。
政務などの事情もなく、遠方の実力者の使者でもないのにエリダイルの屋敷に逗留している乙女がいるというだけでも気になります。しかもその娘は自分たちには決してできないことをなす力まで持っているというのです。
長の姫アリステーゼは昨夜はそのことを考えるだけで満足に眠ることもできませんでした。
昨日は、今日エリダイルがアレクシスとともに父にことの顛末を報告しに来る際に異世界の娘も伴ってくると思っていました。
しかし、冷静に考えてみると、エリダイルの性格上、自分が匿っている人間をわざわざ危地に引っ張り出すような真似などするはずがないのです。
アリステーゼは そうだ! というような顔をした。
―こっそり見に行けば外からでも見られるかもしれない―
しかしそれは簡単ではあるが見つかればアウト。
ううーむ。と唸ってアリステーゼはある方法を思いついた。
軽い長衣に着替えたアリステーゼは、長い間切ったことのない金色の髪を編んでから、それをピンで頭に固定しました。例の帯は髪飾りとフードを兼ねる形で使います。こうすれば、布を髪から離しさえしなければ、下から顔を覗きこまれない限り、彼女の顔を確かめることは難しくなります。
身支度を整えた街長の娘は父が会議に使う部屋の近くにある抜け道―緊急時などを想定した、屋敷や城などにある秘密の通路―を使いました。こうした道を知るのは、この屋敷の代々の主であるディレイの長の一族だけです。
かくして、長の姫は見事に脱出に成功しました。
思い返せば、このような冒険行は子供の頃以来です。
屋敷のある町から少し離れた場所に出たアリステーゼは、そこからふと自分の屋敷を見遣った。
こうして遠くから自分の屋敷を見るのはどれぐらいぶりだろう…
そんな事を考えつつため息をつく。
随分と長い事、自分の屋敷から出ていなかった。
セレンダイルとの関係が悪化の一途をたどる現在、過保護な父親のもと、町の外はおろか、屋敷の外に出る事すら許されなかったのだ。
そっと深呼吸をして息をする。
当たり前のことがこんなに新鮮に思えたのは初めてだったのかもしれない。
とにかくゆっくりと歩く事にしたが、エリダイルの屋敷へいく道はぼんやりとしか覚えてはいなかった。
それでもゆっくりと歩くつもりの足取りは自然とどこかへ吸い込まれていくように歩いていた。
歩くうちにアリステーゼは、もとの目的と併行して、なぜエリダイルがあれだけ必死になって街や民を父から庇っていたかを考え始めました。
実際に見た街の様子は、屋敷で彼女が想像していた姿とは若干のずれがあるのです。
それは、ディレイの人々も自分の一族同様の優雅な暮らしを享受しているものとばかり思っていたアリステーゼにとってはある種の衝撃でもありました。
父本人や、屋敷に来る人々の話から想像していくと、街や人の様子にはもっと活気があってもいいはずなのです。
「長の仕事はいつから暴政ということになったのか…」
アリステーゼは客の誰かが屋敷を出る時に呟いていた言葉を思い出していました。
その時は、彼が何を言っているのかわからなかった。
街の人々は父の善政のもとで幸せに生活していると思っていたから…。
でも、こうして街の中を歩いてみれば、その言葉が正しく思えてくる。
もしかしたら、自分は何も知らずにぬくぬくと生活していたのだろうか。
街の人々の生活を犠牲にしてまで、豊かな生活を維持してきたのだろうか…。
それは彼女が今まで長の娘として学んできたことに反することでした。
確かに街の有力者の生活は民の働きや納税などによって支えられています。しかしそれは「長は何をやっても許される」という意味ではありません。
まさか彼女が今まで屋敷から出してもらえなかった本当の理由はセレンダイルとの関わりよりも、父が街の現状を娘の目から隠そうとしていたことの方が大きいのでしょうか?
とすれば、エリダイルが彼女に夫君―次代のディレイの長となる人物―の決定を望む気持ちについても察しがつきます。
しかし、その地位に相応しい男性はどう考えてもひとりしか思い浮かびません。
それがディレイの通常の人々であれば問題はないのですが、その男性は職務や家系の事情からアリステーゼの提案を受けることができないのです。
そうこう考えているうちにも、彼女は目的の場所へと確実に近づいてきていた。
見覚えのある風景に一度歩みを止めて息をつく。
このまま進めば、当初の自分の目的を果せるだろう。
だが、何となく気が進まない感じがあった。
それは突然突きつけられた現実のせいなのか…。
アリステーゼはこのまま進むか、それとも引き返すかと考え込んだ。
朝食を終えたキョウカが食堂から外を見ると、結い上げた金色の髪に美しい布を髪飾りとして器用に使っている女性の姿がありました。大きな門や生垣などのおかげで正確にはわからないのですが、彼女はこの屋敷の近くで何かを悩んでいるようです。
彼女がもしもエリダイルの客であるならば、明日改めて出直すことを勧めるか、時間がかかることを告げた上で彼の帰宅を待ってもらうしかありません。
エリダイルは長の屋敷にいるのですから。
同じ頃、アレクシスとエリダイルは長の屋敷のなかのエリダイルの執務室にいました。
長の補佐のように、長の屋敷で仕事をすることも少なくない役職の人には、屋敷のなかにそれぞれの仕事用の場所があるのです。
双方共に難しい顔をして黙り込み、室内には重たい雰囲気が漂っている。
これから事の次第を報告に行かなければならない。
その前にいろいろと話し合うためにここにいるのだが、これと言って何かを話す訳でもなく、こうやって難しい顔で座っているだけだ。
最初に口を開いたのはアレクシスの方だった。
「・・・エリダイル。お前は・・」
だがそこで言い出せなくなり、口ごもってしまった。
エリダイルはため息をつき、ゆっくりと口の奥から言葉を無理に出した。
「・・・いい、無理に言わなくても。」
エリダイルがそういうと、部屋は瞬く間に沈黙へと戻った。
「エリダイル様、アレクシス様、長がお待ちです。
謁見の間にお越し願えますか?」
扉の外からふたりに呼びかける声がしました。
副長と魔法使いはどちらからともなく椅子から立ちあがりました。
「≪フォーテイル最初城砦(ディレイ)≫の統治者なる御方におかれましてはご機嫌麗しく―」
「別段麗しくはないが―
アレクシス、昨日は召喚の儀、大儀であった。
召喚を受けた勇者殿は、現在、わが補佐の私邸に滞在しているそうだな。」
一段高いところに座している男性はアレクシスからエリダイルに視線を移しました
「………確かに、その方は私の屋敷に滞在しておりますが…」
エリダイルは言葉尻を濁す。
その様子に長は眉根を寄せた。
「きちんと説明しろ」
長は厳しい表情で二人を見下ろした。
「貴き方がお客人としてディレイを訪問された折りには、お客人をもてなすに相応しい処にておもてなしするのが通例です。
残念ながらこの街には招待所及び迎賓館として建てられた建造物は存在しません。
ゆえに、クローナ邸へとお通しいたしました。」
エリダイルはよどみなくこれらの言葉を告げました。
「―アレクシスが秘術とやらによってわが街に招待申しあげた姫君が…な。
それともその姫は”実は姫のなりをした勇士”だと言うのかな?」
長の口調には皮肉めいたものがあります。
「街長の補佐の屋敷に滞在されている姫君は勇者の案内人となる乙女です。」
エリダイルが何かを言う前にアレクシスが口を開きました。
長は沈黙したままアレクシスを見据える。
その表情は先程と全く変わらず、眉根を寄せたまま…。
不機嫌なのは誰の目から見ても明らかで、周りで控えている者たちは長がいつ感情を爆発させるのかと内心で脅えていた。
だが、そんな長の様子に怯む事もなく、アレクシスは冷静に言葉を続けた。
「今回行使した異世界への扉を開く魔法は、以前も申しあげましたように、はるか古代に大魔法使いたちが一度だけ実践しただけの、現在では結果も未知数に近い危険な術です。
しかし、幸運にも魔法は≪水を越えし乙女≫を見出した学問所へ真直に通じました。
おそらくあの学問所では過去にも魔法が絡む事件が起きていたのでしょう。」
アレクシスは異世界の映像を思い返しました。あのときキョウカがいた現場から少し離れたところには、魔力に似た力を潜在的に持っていると感じた娘と、剣術の授業の復習をしている様子の数名の若者がいました。
あの時、シルヴィナが途中で力尽きて倒れなければ若者たちを召喚していた筈でした…
「―その未知数の魔法であの世界の者を呼び込めたのは本当に幸運でした。」
別世界の生命を、意向を無視して強引にこちらに呼び込む魔法は本当に危険なのです。
長は小さなため息をつき、エリダイルに向き直った。
「それで、あの姫君には話したのか?」
エリダイルは一瞬、長から目を離したものの、すぐに向き直った。
まっすぐな目だった。
「どの道彼女は知ることになるでしょう。」
「どのみち?」
長はエリダイルを見つめる。
その視線は明らかに「説明しろ」と言っている。
その視線を受けて再び口を開きかけた時…
「大変ですっ!!」
突然、室内に女性の声が響いた。
皆はその声に振り返る。
「大変です、アリステーゼ様のお姿がありません!!」
「何!?」
ディレイの長は席を立ちあがると、エリダイルやアレクシスを押しのけるようにして謁見室を横切り、扉を開けた女性のもとへ詰め寄りました。
金髪の愛娘は、計画中のセレンダイルの宝玉狩りよりもずっと大切なのです。
「娘が失踪したと!?
フェラーダは何をしている?
即刻呼んで来い!」
「はい。」
アリステーゼの失踪を告げに来た女性は、姫の侍女たちを統括している人物を探すべく、慌ててその場を去りました。
バタバタと遠ざかっていく足音を耳にしながら、長は深くため息をついた。
そしてイライラした様子で身体を揺らした。
そんな様子をエリダイルとアレクシスは黙って見守るしかなかった。
今、何か言おうものなら、どんな事態になるか想像もつかない。
少しでも機嫌を損ねれば、死刑。良くても投獄は免れないだろう。
それだけ娘のアリステーゼが大事なのだ。
「我々も姫君の捜索にあたらせていただきますゆえ、失礼いたします。」
屋敷の衛士の隊長があわただしく部屋を出ました。
エリダイルの屋敷を見つめていたアリステーゼの肩に誰かが触れました。
「お嬢さん、こちらに来ていただきましょうか?」
見知らぬ者の声です。勿論、エリダイルの屋敷の者でもありません。
「何用です?」
振り返った姫の碧の瞳に映ったのは数名の男性の姿です。
幸か不幸か、彼らは目の前にいる娘の素姓については気付いてはいないようですが、彼女がある程度以上の資産家の娘であるという見当はつけているようです。
「騒ぐとろくな事にならないぞ」
男たちは低い声で囁くと、彼女をどこかに連れて行こうとその腕を引っ張った。
「触らないで下さい」
男たちの目的を何となく察したアリスが発した言葉はそれであった。こんな事態にもかかわらずその口調は静かなものだ。
普通ならば脅えて泣き叫んだりするのが常であるのに…と、男たちが彼女の方を見た瞬間、アリステーゼを掴んでいた男が弾かれるようにて後ずさった。
「なっ!?」
驚きに包まれた表情で見据えられたアリステーゼは小さく微笑んだ。
その男の手を弾いたのは他ならぬアリスであったのだ。
「多少の護身術ぐらいは身につけているのですよ」
それでも相手は複数。このままの状況でいればいずれは彼女の分が悪くなります。
アリステーゼは相手の隙を見て、人通りの多い場所を目指して走り出しました。
「お前たち、娘を逃がすなよ!こっちも生活がかかっているんだからな!」
「向こうから回り込…っと!」
追っ手のひとりの足に長いものがまきつき、そのまま彼を地面に引き倒しました。
ふたりの男性がこちらに向かってきます。ひとりは武器を剣に持ち替え、もうひとりは襲撃者の数名の動きを封じるべく動きます。フォーテイルの衣装の飾り帯は直接衣類を固定するものではないので、解いて武器や護身具として使うことも可能なのです。
金髪の姫を救いに来たふたりはエリダイルの屋敷の衛士の装束を着ています。
屋敷の門衛がこの事件を中の者に知らせたのでしょうか。それとも…?
「大丈夫ですか?」
エリダイルの屋敷の方からそんな声が掛けられた。
その声にアリステーゼが振り返ると、その視線の先からは茶色い髪の少女が駆け寄ってくる所だった。
恐らく、さきほどの声の主は彼女であろう…。
「と…とにかく中へ…」
エリダイルの屋敷から出てきた見知らぬ少女は、アリステーゼの腕をとって屋敷の方へと引き返す。
「あ…あなたは…?」
「私?私はキョウカ…キョウカ=サネモリです。とにかく中へ…」
外は異常に騒がしく、二人はエリダイルの屋敷の庭に、駆け込んだ。
キョウカは困ったように眉をかしげた。
「えっと、どうかしたんですか?」
アリステーゼもまた、困ったように首をかしげた。
「私にはよく・・・。」
「そうですか・・・。」
キョウカは深くは問わなかった。今はとりあえず、屋敷に入ろうと、入り口の所へアリステーゼの手をひっぱって向かった。
その時だった。入り口の方からガサリと草を踏む音がした。
「ご無事でしたか?
昼間といっても、女性のひとり歩きは避けた方が賢明ですよ。
近年はこの街も物騒になりましたからな。
≪水を越えし姫君≫がお気づきになれらなかったらどうなっていたことか。」
建物から出てきたのはクローナ家の家令です。彼もまた時折長の屋敷を訪れることがあるのでアリステーゼにとっては全く見知らぬ人物ではありません。
「あなたとは面識があるように思えるのだが…?
はて…」
ソリアナールは、すんでのところで誘拐を免れた娘の方をみました。
彼女にはどこかで会ったようなおぼえがあるのです。
そんな彼の視線にアリスは視線を逸らした。
そんな彼女の様子に、キョウカは何となく事情を察した。
彼女は彼と顔見知りであるが、今はばれては困るのだ…と…。
「あ…あの、屋敷の中に入ったほうがいいんじゃないですか?」
彼の気を逸らそうと、キョウカはソリアナールに声をかけた。
ソリアナールはハッとして真面目に頷いた。
「それもそうですね。」
アリステーゼとキョウカはひとまず一息ついた。
先を行くソリアナールの後について歩くキョウカは、アリステーゼを隠すように、アリステーゼは隠れるように入り口へと向かった。
参加者:れいあさま 瑞穂さま
ミール・エア・リーデ
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