「アリ…いや、皆、大丈夫か?」
玲が剣を鞘におさめながら女性達の所に来ました。男性達の戦闘もかたがついたのでしょう。
「茴香、彼は―」
「玲君、怪我人に敵も味方もないわ。それよりも男の人たちはみんな大丈夫なの?」
「皆無事さ。敵さんも皆退散したよ。昨夜の敵に較べたら手応えもなかったなぁ。」
「―つまり、ロイの判断に従って正解だったってことね。ライシャ、よかったらもう少し動きやすい服を選んでくれないかしら?やっぱり女性用の服では思うように動けないわ。」
「スバルさん?」
「こんなことはこれから先もきっとあるわ。多分、敵の狙いは魔法使いの総司候補かディレイの世継の姫よ。わたしは武器も使えるし、男性の護衛では無理な場所でもふたりを守れるわ。」
玲は昴の言葉に興味を持った。
「と、言うと?」
「そういうことよ。よく分からなかったかしら?」
昴はにっこりと笑って顔だけ振り返った。玲は大きくため息をついてコクリと頷いた。
「よくわかったよ。」
「これもディアルドの屋敷を出る際にある程度は覚悟していた事態のはずだ。違うか?
姫君には少々酷かもしれないがこれもヴェストゥールの現状のひとつだ。」
不安げな面持ちでいるアリステーゼの背後からロイが姿を見せました。
「―わかっています。」
アリステーゼはロイの言葉を肯定してはいますが、そのどこかには「なぜ自分たちが狙われなければならないのか?」という疑問が隠れています。戦闘に巻き込まれることなど経験したことのないアリステーゼにとって、2日続きの戦闘経験は衝撃以外の何物でもないのでしょう。
「―スバルさんの言葉は理にかなっているけど…旅行服でも駄目だとなると―困ったわね。」
ライシャは昴に動きやすい服を見繕おうと考えて、旅行服のスカートの裾の一部を帯にはさんでいる昴の姿をもう一度見ましたが、じきに溜息をつきました。
「そんな顔をしないで。別に私は男物で十分よ、ちょっと身長が足りないけれど・・・。
そうね、少年が着る細身の服ぐらいだったら、私でも大丈夫じゃないかしら」
昴はにっこり笑ってそう言った。
あまりに嬉しそうなその様子に、ライシャはまた一つ深い溜息をついた。
「分かったわ、後で用意してあげる」
幾度目かの溜息と共に発せられたその言葉に、昴は嬉しそうに玲に向かってウィンクした。
それを横目で見つつ、ライシャは視線をカリッツァに向けた。
彼は相変わらず茴香に介抱される形でそこに転がっていた。
「―たしか…おまえはあのときは白金色をしていたんだったな…」
カリッツァは茴香の横にいる桜色の竜に視線を移しました。魔法使いの守護竜と、竜騎士の闘竜は主人の魂の色をまといます。つまり竜の主人が変われば違う体色になるのも当然なのです。
「キィを知っているのですか?」
「ああ。あの方が姿を消したのは竜が目覚めた直後だった。ここから先はお嬢さんが本当にユリニエール様に縁の方でなければ話すことはできない。あなたが本当にあの方に縁があるならば、あなたと一行のヴェストゥール内における身の安全は≪真の平安を願いし御方≫ユリニエール・マティス・サナムール様の名において我々が保証する。お嬢さん、この方におぼえはあるか?」
カリッツァは掌におさまる大きさの、かなり年季の入った小肖像を取り出しました。
穏やかな表情をした肖像の男性は、性別こそ違うものの、茴香に面影が似ているようです…
茴香は前かがみになって目を細めた。
「どうかしら。でも・・・」
「でも?」
「何か、懐かしい感じがするわ。」
う〜ん、とうなって、茴香は額に手を当てた。カリッツァはキョウカはずっと見つめていた。昴達もいつの間にか、茴香の方を振り返っていた。
アル、ティエラ、レド、ロン、マデール、リタ、ユリニエ…
突然、見知らぬ人物の肖像を見せられ困惑している茴香だったが、結局のところ、この世界で本人が知っているものといえば、あの呪文しかない。
困ったときはあの呪文を唱えてみる。
何か思い出せないだろうか…。
自分にちょっと面影のある人物…となれば、親戚縁者の可能性がある。
だが、あいにくこのような人物に心当たりは無かった。
元々自分には兄弟はいないし、いたとしても彼の年齢では兄弟というには無理がありすぎる。
かと言って両親でもない。両親はちゃんと健在だ。
「サネモリ、サナムール…似ていますね。ロイ殿、あなたはマトゥーラ留学経験があり、ミュセアの魔法使いの司殿のご子息です。シャレインとニホンの繋がりについて聞いていませんか?」
「シャレイン?東部の金鉱の街とユリニエールと…ニホンとやらに何の関係があるんだ?」
「以前にシレギアの魔法学の学者と会ったことはお話ししたと思います。その折、その街の魔法使いの司になるはずだった魔法使いとセレンダイルの乙女の伝承を聞いた記憶があるのです。」
「それとユリニエールに絡みがあるってか?その方面はアレクか父の方が詳しそうだなぁ…」
「そういえば、前にこっちでわたしと玲がライシャを助けた時は≪世界を繋ぐ門≫は南方五都市に開いたんだわ。あれはわたしたちには去年のことだけど…こっちでは9年も前になるのね…」
「同じ魔法も行使時間が違えば、力場や…時間や地理へも影響が出る―ということか?」
「一続きの時間で行って帰る間…魔法が一続きで働く時はその種の影響はないんだろうけど。」
「こっちでは9年も前って事は、地球とこっちは時間の流れが違うって事?」
ぼんやりと皆の会話を聞いていた茴香が昴と玲に問い掛ける。
「さあ、そこまでは分からないな。何せ、しょっちゅう行き来してるわけじゃないから」
「うん、私もそこまでは…」
玲と昴はそう答えて互いに首を横に振った。
「いずれにせよ、事を完全に思い出した暁には、すべてをお話しする。だが、今はその時ではない様だ。」
カリッツァは、すぐにこの場をあとにしようと、火傷の痛みをこらえながら、…ん?、痛くない?
今、気がついた。
両足の火傷の跡はいつの間にか消えていたのだ。
そういえば、さっきからずっと膝の辺りに茴香の手のひらが添えられていたような気がする。
「わははは!こいつは驚いたな!」
「―よかった…治ったのね。この肖像、お返ししなきゃ。」
「それはお嬢さんが持っておくといい。少しは思い出す助けにもなるだろう。
今日のところは引き上げるが、仲間の誰かはお嬢さんのそばにいるようにしておく。
こう見えても大陸の北半分の裏世界に多少は顔が利く身だ。さして難しいことじゃない。」
「有難う。あなたがそう仰言ってくれるなら…ロイさんたちも安全に旅ができるのね。」
茴香はほっとしています。カリッツァたちが遠巻きに茴香のいるライディストを守ってくれるるならば、少なくとも彼女が一行と行動をともにしている間は襲撃の心配は不要になります。
「だが…最近の旅商人はこんな夜更けに出発するのか?ミュセアは旅人に親切な街だが…?」
「………やむを得ない事情があるんだ。」
ロイは複雑な顔をしています。ライシャが昴の新しい着替えを持ってきたのはこの時です。
「ロイ、お客様が・・・」
ライシャの様子がおかしいことに、ロイはいち早く気づいた。そして、客を通すように指示した。
ほどなく、客人がやってきた。アドレインであった。
「こんな時間に失礼かと思ったが、出立が早かろうと思ってな」
「どうなさったのです?」とキョウカはたずねた。
アドレインは部屋の中にいる男を見つけて驚いた。
次の瞬間彼の発した言葉はこの二人以外を驚かすには十分な事だった。
「失礼だが元竜騎士団副長のカリッツァ・デオン殿では?」
「ずいぶんと古いことを知っているな、ご老人」
カリッツァは一瞬眉根を寄せた後にすぐに真顔に戻ってそう答えた。
そんな微妙な表情の変化に誰も気付く事はなく、アドレインは心底驚いた様子でカリッツァを見つめた。
「まさか、このようなところでお会いすることになろうとは思いもしませんでした」
アドレインがその表情に笑みを貼り付けてそう言ったのは、それからしばらくの間を置いてからだった。
「敬語は不要だ。おれの名が”カリッツァ・ライド・デオン”だったのは過去の話だ。ええと―」
「わたしはこのミュセアの魔法使いの司アドレイン・マティス・セダイユです。こちらはキョウカ・マーシア・サネモリ嬢。高位魔法使いであり、次代の総司となる乙女です。」
―サネモリか。金髪のお嬢さんの言うとおり、確かに似ているな。おそらくユリニエール様は別世界ではサネモリの名で暮らしておいでだったのだろう…―
カリッツァはセレンダイルの乙女とともに異世界に逃れたユリニエールが、新しい世界でどのように生きたかを想像していました。ユリニエールが逃れ、茴香が生まれたその世界では、地上の水はフォーテイル族の脅威にならず、水のセレンダイル族と共存することも叶うのでしょう。
「おお、そうだ。カリッツァ殿、よろしければキョウカ殿をマトゥーラのシェルファーラ殿のもとまで送り届けてはもらえませんかな?あなたでしたら安心して彼女をお任せできます。」
「シェルファーラ・・・」
カリッツァはくりかえして名前をよんだ。茴香の方をチラリとみると、茴香は真剣な顔でカリッツァの方を見ている。カリッツァはコクリと頷いた。
「ああ、そうだな。さっきの恩を忘れるわけにもいくまいし。」
「恩?」
茴香はキョトンとした顔をした。どうやら火傷を治したことは、自分では気づいていなかったようだ。
「アドレインさん、ききいことがあるのですけど―」
カリッツァの「恩」という言葉を聞いた茴香は何かを思い出したように切り出しました。
「何ですかな?」
「今日の昼の騒ぎをおぼえていらっしゃいますか?そのときにこちらの警察に逮捕された人たちがいるのですが…その人たちを解放することはできませんか?」
事情を知らなかったわたしも悪いのですが…彼ら―カリッツァさんの連れの人たち―はわたしを拉致しようとしたことで逮捕されたと思うのですが、今それが誤解だったことがわかったの。あの人たちを拘留すれば無実の人に罪の濡れ衣を着せることになってしまうんです。」
「お嬢さん…」
アドレインは言葉を詰まらせる。
だが、やがて静かに首を横に振った。
「なぜっ!?」
茴香は抗議の声をあげる。
「彼らはこの街へ来る時、ディレイで脱獄騒ぎを起こしている」
「っ!!」
アドレインの静かな声に、今度は茴香の方が言葉を詰まらせた。
「事情がどうであれ、脱獄は重い罪だ。彼らを釈放するわけにはいかない」
これは個人の問題ではなく、街と街の間の重要な問題なのだ…と、アドレインは暗に言い放った。
「キョウカ殿、盗賊達の無実を証明する手だてはおありかな?彼らが最初に逮捕されたのはディレイだ。無実の証拠がしっかりしていればクローナ殿に仲介に立ってもらえる可能性もある。」
「クローナ殿?」
「エリダイル・セレス・クローナ街長補佐殿だ。ディレイでの冤罪事件解決には大体彼が関与している。しかし…ローウェル殿とクローナ殿にとって、ディアルド氏の補佐は耐え難かろうに…。3年前の破門事件を思えば、彼らがディアルド殿の失墜を願っても不思議ではないからな…」
「キョウカさん、ディレイの魔法使いの司―アレクシス・マティス・ローウェル殿よ。」
アリステーゼがアドレインの出したもうひとつの名の主を茴香に告げました。姫はアドレインの言葉の意味を考えています。一昨日見た記録類の中には3年前にディレイが神殿から破門された経緯の詳細はありませんでした。真相を姫君の目に触れさせまいとして隠されたのでしょう…
その言葉は、今までディアルド家で何不自由なく大事にされてきたアリステーゼにとっては思いもつかなく、また辛い内容でもあったが、この数日の事柄を見るにつけ、うすうす感じてきていた内容でもあった。
「・・・カリッツァ殿、彼らはもともと何を盗んだ罪に問われたのでしょうか?」
アリステーゼは考え深げな目を上げ、真剣な眼差しをカリッツアに向け聞いた。
「………」
アリステーゼの問いにカリッツァは答えなかった。
つぃ…と、視線をそらし口を噤んでしまう。
「カリッツァ殿」
アリステーゼは先程より強く彼の名を呼ぶ。
それに答えるかのように、カリッツァは深い溜息をついた。
「おれ達は何も盗んじゃいないさ…」
彼は小さな声でそう答え、この話はこれで終わりだと言わんばかりにアドレインに歩み寄り、別の話を始めてしまった。
「パール、茴香、ここは彼らとディレイのクローナ氏の手腕を信じようじゃないか。あのふたりが言っていたことが本当なら、じきに彼らは無罪放免になるさ。」
≪パール≫というのは昨夜玲が考えたアリステーゼの偽名―コンクパール―の愛称形です。
「なるほど…そういう事情なら総司殿もキョウカ殿のシャレイン行きを反対はされまい。高位魔法使いにも自由に旅をする権利はある。高位魔法使いがマトゥーラを出ることが滅多にないが。
高位魔法使いと竜騎士、そしてエルセアの聖職者は常人とは違う時間を生きる。
彼らにとって、俗世は少々生きづらいのであろう。」
「不老長寿も言葉ほど優雅じゃないからな。おれもザインと絆を結んでから何年になることか。
それはさておき、なぜわざわざおれにキョウカ殿の護衛を頼む?既に立派な護衛がいるが?」
カリッツァはロイを示しました。
「彼らの本業は商売です。行く先々で商売をすることもあるでしょう。その時、賊が不意を突いてきたら?彼一人ではこの人数の女性達を、キョウカ嬢を無傷で守りきれるでしょうか?」
その言葉にカリッツァはなるほどと思った。
たしかに、彼らの本業は商売である。仕事を始めてしまえば、おそらく彼らは彼女達を顧みる事が難しくなる。その時、彼女達のそばにいるのが、男一人なら賊は彼女達の中の誰かを攫う事などたやすいのではないだろうか。
それを考えれば、アドレインがカリッツァに護衛を頼むのも納得できる。
茴香にも恩がある故、彼女を護衛するのに否はない。
だが、茴香を護衛すると言うことは、自分もこの地を離れねばならないという事。その間、部下達はどうすればよいのだろう?
もちろん彼らのうち何人かは影ながらこの旅に同行する事になるだろう。だが、現在この街の牢獄に収監されている者たちは………。
「―拘束中の人々の身柄については、わたしも長やクローナ殿と相談してできる限りのことをしましょう。おそらく皆さんのマトゥーラ滞在の間に彼らは自由の身になりましょう。」
「彼の無実についてはおれたちも証言しておこうか。」
ロイが口を出しました。カリッツァたちがディレイに逮捕された直接の原因は昨夜のライディスト襲撃でしたが、彼らはロイ達からは何も盗まず、ひとりの死者も出さなかったのです。
「当然だ。おそらく、ことの発端はそこの”立派な護衛”の誤解と手の早さであろうからな。」
「ねえ、みんな、お客さんよ。」
父と息子の雰囲気が険悪になる寸前で現われたライシャと昴が連れているのはセイレナーンです。若君が単身でいるところをみると、昼間のように黙って屋敷を抜け出して来たのでしょう。
彼は茴香の姿を見つけると、真直に竜と一緒にいる乙女の近くに移動しました。
参加者:れいあさま 瑞穂さま 一器さま
さとこさま ミントブルーさま ミール・エア・リーデ
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